南米の「飲むサラダ」を求めて-マテ茶をめぐる冒険・前編|世界の暮らしのイイトコドリ 第4回

「飲むサラダ」マテ茶にハマる

アルゼンチンを旅していたとき、現地でとても怪しいものを見つけました。

容器にたっぷりの葉を入れ、ステンレス製のパイプのようなストローで吸います。

「これを飲めば元気になる」「美容にいいのよ」と、アルゼンチンの人々は口々に言います。

「もしかして、やばいやつじゃないの?」と思った方。

私も正直、はじめはそう思いました。でも違います。

実はこれ、マテ茶なんです。

はじめてマテ茶を飲んだときは衝撃的でした。現地の人は驚くほど濃くしてマテ茶を飲みます。

あまりの苦さにアルゼンチン人に笑われ、「二度とこんなお茶飲むもんか!」と誓いました。

のはずが……。今では自分たちでマテ茶ブランドを立ち上げるほど、どっぷりハマっています。

なぜそんなにハマったか。理由は2つ。

1つ目は、いつの間にか、マテ茶の味の虜になっていたのです。ブラックコーヒーやビールと同じように、最初は苦手だと思った苦味がいつの間にか心地よく、やみつきに。

2つ目は、体調の変化が一目瞭然だったからです。マテ茶にはビタミン、鉄分、カルシウム、ポリフェノール、フラボノイド、食物繊維など、健康維持や美容にいい栄養素が多く含まれていて、「飲むサラダ」といわれるほど。アルゼンチン人は野菜をあまり食べず、肉と炭水化物ばかりという明らかに偏った食生活を送っていますが、それでも問題なく健康的に過ごしているのはマテ茶を飲んでいるからという研究結果も出ています。

明らかな体の変化を目の当たりにし、誓ったのです。私は一生マテ茶を手放さないと!

マテ茶を求めてアルゼンチンへ

日本で購入できるマテ茶をいろいろ試してみたのですが、どうも私たちが現地で好んで飲んでいた茶葉の風味と違う……。それに、毎日飲むのであれば、オーガニックの茶葉がほしいところ。

私たちは思い切って、アルゼンチンに探しに行くことにしました。

アルゼンチンの首都、ブエノスアイレス。ここは第2話で書いたお財布ブランド「planar」のお膝元。

planarのデザイナー夫婦の家に居候しながら、いろんなオーガニックショップを巡り、全部で20種類ほどのマテ茶の茶葉を集めることができました。それぞれをテイスティングし、おいしかった茶葉ベスト3の農家を訪問することに。

planar夫婦は友達を総動員して、フリオという人を見つけてくれました。

マテ茶の仕事に従事し、英語も堪能なフリオさんが、私たちのガイドをしてくれるそうです。自分たちだけでマテ茶農家に辿り着けるのかずっと不安だったのですが、これでなんとかなりそうです。

私たちはフリオさんを頼りに、マテ茶農家が集めるアルゼンチン北部の街・ポサーダスへ移ることにしました。

マテ茶の本場にやって来た

ポサーダスへは夜行バスに乗り、12時間ほどで到着。街の外れに1軒だけ見つけたホステルにチェックインしました。さっそく街を散歩してみると、中心街でマテ茶を飲む像を発見。

街を歩いていると、いたるところでマテ茶を飲んでいる人を見かけます。おしゃれな若者もおじいちゃんも子連れのファミリーも、みんな手にはマテ茶を持っています。「ついにマテ茶の本場に来たんだ!」と気持ちが高揚してきました。

その夜、ホステルでスタッフやほかの宿泊客とマテ茶パーティーを開催。現地の人はマテ茶を回し飲みします。マテ茶をすすめられるということは「親睦を深めましょう」という意味。マテ茶の地元・ポサーダスで幸先の良いスタートを切った私たちは、「今回も良い旅ができそうだ」と充実した気分でその夜を過ごしました。

ガイドと音信不通になる

翌朝、問題が起こりました。

その日、はじめてフリオさんと会う約束だったのですが、突然連絡が取れなくなってしまったのです。彼が頼みの綱だった私たちは大パニック。

というのも、この日は火曜日。金曜日にはブエノスアイレスに戻り、月曜には帰国の途につかなければなりません。ここはとにかく落ち着いて、自分たちで何とかするしか方法はありません。

ネットで情報収集をしはじめるも、数分で行き詰まりました。日本語の情報ページはもちろん、英語でもほとんど情報がなかったのです。そう、アルゼンチンはスペイン語の国。スペイン語が理解できないと話にならないのです。もちろん街中でも英語はほとんど通じないので、人に聞くこともできません。しかもサイトには農家の住所や電話番号などの情報が何も掲載されていないのです。

結局夫婦2人で1日調べてまわるも収穫ゼロ。私たちは一体何してるんだろう。こんな地球の反対側の国のさらに果てまで来て、手ぶらで帰ることになるのだろうか。

川の向こうにオレンジ色に輝く夕日が沈んでいきます。

この川は国境にあたるため、向こう岸に見える街はパラグアイです。行ったこともないパラグアイという国を眺めながら、夫婦2人で長く伸びた影を引き連れ、トボトボと寂しげな街のはずれを歩くのでした。

最後の望みを託して

ホステルに戻り、ほかの宿泊客に事情を話すと、気のいい人たちがスマホで情報を探してくれました。

「本当にアルゼンチンの人は優しいなぁ……」としんみりしていると、一人の男性が言いました。

「オベラに行くといいみたい! マテ茶畑はここからバスで2時間のオベラに多く集まってるんだって」

ありがたい情報でしたが、オベラに行ったからといって、見つかる気はまったくしませんでした。

街中のポサーダスでもこれだけ英語が通じないのです。もっと田舎のオベラでどうやって情報を探せばいいのだろう?

かといって、ここに留まっていても始まりません。翌朝のオベラに行くバスを予約し、みんなにお礼を言って、私はドミトリーのベッドでふて寝しました。

【続き】南米の「飲むサラダ」マテ茶をめぐる冒険・後編

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