ネパールのお母さんたちが作る、ふぞろいなコースター|世界の暮らしのイイトコドリ 第3回

カトマンズのホテルでの出会い

彼女の名前はジョティ。ネパールの首都、カトマンズから遠く離れた村の出身です。彼女の親はアルコール中毒で、毎日彼女に暴力を振るいました。そんな親から逃げようと、ジョティは一人で村を飛び出し、カトマンズまで歩いてやって来ました。

「LIFE IS A JOURNEY!」の一番の人気商品。それはジョティや、シングルマザーの女性たちに作ってもらっている、コースターと鍋敷きです。ウール素材で、グラスの水滴をしっかり吸収してくれることから夏場でも人気です。色とりどりのウールを石鹸水で圧縮してフェルト状のボールを作り、それをひとつずつ丁寧に糸でつないで出来上がります。

私たち「LIFE IS A JOURNEY!」がフェアトレードを始めたのは、1人のネパール人女性との出会いがきっかけでした。

彼女の名前はミナ・グルン。ミナさんはシングルマザーの母親に苦労して育てられました。ネパールでシングルの女性が生きていくことは容易ではありません。離婚・死別、理由に関わらず、シングルになった時点で仕事に就けなくなったり、正規賃金が支払われなかったりと、さまざまな差別を受けることになります。ミナさんも幼い頃から母親と共に働き、妹や弟たちを養ってきました。

「今でこそ、私は結婚して人並みの生活ができるようになった。だけど、今でも苦労している家族はネパール中にたくさんいるわ。そういった人たち支援したいんだけど、どうすればいいかわからないの……」

カトマンズ市内のホテルで聞いたそんな話が、すべての始まりでした。

「それなら一緒に仕事をしようよ! ミナさんが手工芸の技術を女性たちに教える。女性たちが作った商品は私がフェアトレードで買い取り、日本で販売する。どうかな?」

そんな私の安易な提案から、この取り組みは始まりました。

人を支援する。それまでの私の人生で慈善活動をするなんて考えたことがありませんでした。街頭で募金するくらいが関の山。けれど今回は、商品を作ってもらうだけで人助けになるのです。ミナさんに何度も感謝され、私は自分の出した案にすっかり酔いしれていました。

数ヵ月後、私は再びネパールにやって来ました。

ミナさんからコースターが出来上がったと連絡があったのです。この数ヵ月のうちにミナさんは貧しい村のお母さんたちを集め、コースターの作り方をレクチャーし、練習に練習を重ねてやっと商品が出来上がったということでした。

あふれんばかりの笑顔でミナさんはコースターを持ってきてくれました、が……。

ふぞろいなフェルトボール

コースターを受け取った瞬間、私は凍りつきました。コースターの大きさ、丸めたフェルトボールの大きさ、ボールの色の組み合わせ、すべてがバラバラだったのです。

目の前には、やっと出来上がった商品を手にして満面の笑みのミナさん。辛いけど、お互いのためにも本当のことを言わなければなりません。

「残念だけど、品質管理が厳しい日本でこのコースターは販売できない。私が書いた指示書と同じように作ってもらえないと受け取れない」

屈託のない笑顔が消え、悲しそうな表情でミナさんが答えました。

「このフェルトのボールをまん丸に作るために、何週間も練習したのよ。楕円形にならないよう、何度も練習を重ねて、やっと出来上がった貴重なまん丸のボールを集めてこのコースターを作ったの。

もちろん職人に頼めば、すぐにきれいに作ってくれるわ。だけど、彼女たちは職人じゃない。数ヵ月前に始めたばかりなのよ。職人レベルに達するには何年かかるかわからないし、その間に収入がなければ、私たちは生きていけない」

実はこのような話をほかでも聞いたことがありました。同じく女性支援のフェアトレード団体での話ですが、先進国から来る注文は非常に高いレベルを求められるため、熟練した技術を持つ女性にしか仕事が割り当てられないそうです。結果、数人の女性にばかり仕事が集まり、同じ組織の中で格差が生じてしまうことが問題になっているとのこと。

かといって、日本で受け入れられない商品を作っていては、持続的な支援は不可能です。私は一度、作り手のお母さんたちに会わせてもらうことにしました。

支援することの意味

コースターを作っている場所はカトマンズを離れた村の中にある、ミナさんの自宅でした。場所を借りるお金がないため、ミナさんは自宅の一部をお母さんたちに解放していたのです。

柔らかい陽が差し込むその部屋の中では、作業をする数人のお母さんと、子どもたちの笑い声が響いていました。子どもを連れてきやすいようにお昼寝スペースやおもちゃが用意されていて、ミナさんのお母さんたちへの心配りが感じられます。

「ここで過ごす数時間が何よりの楽しみなの。過去の辛いことや苦しい生活も、同じ境遇のみんなと笑いあえば、心がふっと軽くなる気がするのよ」

1人のお母さんのそんな言葉を聞いて、ミナさんの言う支援が金銭的な意味だけではないことに気がつきました。お母さんたちの中に1人、若い少女がいました。彼女がアルコール中毒の親から逃げてきたジョティでした。

「ここに保護してきたとき、彼女はまったくしゃべってくれなかったの。だけど、少しずつ心を開いてくれて、今では笑顔で話しかけてくれるようになったのよ。それが何よりうれしいの。さっきのコースターはね、ジョティが毎日毎日、一生懸命練習して作ってくれたものなの」

それを聞いて、私は目頭が熱くなってきました。同時に、自分が恥ずかしくなりました。私は支援するなんて言いながら、お母さんたちを工場としか考えていなかったのです。何の覚悟もなく、「人の役に立つなんて気持ち良さそう」なんて浅はかな考えをしていた自分が情けなくてたまらなくなりました。

ジョティやお母さんたちは生きていくため、必死に技術を覚え、商品を作ってくれている。私は彼女たちの技術にケチをつける前にするべきことがあるんじゃないのか? このふぞろいなコースターを、日本のお客さまに受け入れてもらう努力をするべきではないのか?

「同じものはない」というおもしろさ

私はコースターを持って、一度日本に帰ることにしました。

それからすぐに出店したマーケットで、初めてお客さまの前にコースターを並べました。それまでに仲の良いお店のバイヤーさんは理解してくださり、いくつか購入していただきましたが、自分の手で販売するマーケットはお客さまの反応が直接伝わるので、やはりとても緊張します。

最初のお客さまがコースターを手に取られたとき、私は少しでもお母さんたちの現状を知ってもらおうと、必死で説明しました。すると、そのお客さまはクスっと笑ってこう言いました。

「ふぞろいっておもしろいですね。自分だけのものを選ぶ楽しみがありますね」

そして思ってもみないことが起こりました。そのお客さまがコースターを選んでいると、その横からお客さまが1人、また1人と増え、いつの間にかちょっとした人だかりができていたのです。

ジョティとお母さんたちの努力が報われた瞬間でした。私はこのときのことを忘れることはないと思います。脳裏に次々とジョティやお母さんたちの姿が思い浮かび、私は心の中でガッツポーズをしました。

笑顔が生まれる関係を

ミナさんと出会ってから4年が経ちました。現在では6人のお母さんが「LIFE IS A JOURNEY!」の商品を作ってくれています。

「この色、絶対売れると思うのよ!」

今ではお母さんたちは、色の組み合わせを勝手にアレンジしてきたりします。そして、この「お母さんアレンジ」、実は今まで売れ残ったことがありません。

「毎日フェルトばっかり見てるんだから、あなたよりよっぽど、色をわかってるつもりよ。今回も絶対売れるから、ほら、頑張ってきなさいな!」

お母さんたちは会うたびに豪快な笑顔で、ドーンと私の背中を押してくれます。

彼女たちとの出会いをきっかけに、「LIFE IS A JOURNEY!」で企画する商品は、ネパール以外の国でもフェアトレードを基本としています。

持続可能な社会に貢献したいという気持ちもありますが、それ以上に、知っている作り手さんから気持ち良く、フェアに譲り受けた商品を販売したいから。フェアトレードでは一方が搾取しているわけではないので、作り手と買い手の関係も必然的に親しくなります。

商品が売れると、作ってくれたおじさん、おばさん、きっと喜ぶだろうなぁと、売れるたびにほっこり幸せな気分になります。「ありがとう」と笑顔を向けてくれている姿を想像できるからです。

たとえば、コースターだと3枚で、鍋敷きだと1枚で、働くお母さん1人の1日分の生活費がまかなえます。遠く離れていて直接会えないけれど、お母さんたちは購入していただいたお客さまにとても感謝しています。それを代弁し、伝えることが私の仕事だと思っています。

お客さまが商品を使うたびに、遠い空の下で強くたくましく生きているお母さんたちの笑顔を想像してもらえたら、何よりうれしいです。

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