透き通った美しいくし
美しい淡黄色のそのくしは、不思議な素材でできていました。
プラスチック製のように軽いけれど、手触りが違います。手に持って空に透かしてみると、乳白色に白濁している部分もあれば、クリアに透き通っている部分も。ところどころに茶色やグレーのラインが入っていて、ひとつとして同じ柄の物がありません。
頰が真っ赤で三つ編みをしたチベット人の店員の女の子が、くしの表面を指の腹でこすって匂いを嗅いでみせます。私も同じようにしてみると、髪の毛が焼けたときのような、たんぱく質の匂いがしました。
「これが本物のツノを使っているかどうかの見分けかたなの」
そう言って、彼女はにこっと微笑みました。
ヤクと共に生きる遊牧民
このくしは、ヤクのツノで作られたものです。
ヤクとはチベット全域にいる、毛むくじゃらの牛のこと。標高が高い寒冷地にいます。
私たち夫婦は2014年にチベットを旅しました。
チベットの旅は、嘘みたいに美しい絶景の連続でした。その反面、実際に生きていくにはなかなか厳しい場所でもあります。
標高が高すぎるため木々が育たず、ずっと赤茶けた荒野が続きます。日中と夜間の気温差が激しく、昼間はTシャツで過ごせるのに、夜になれば川が凍ることも。時間によってどんどん気候が変わるため、まるで四季を1日で体感するかのようです。
そんな過酷な環境の中、遊牧民たちはヤクと共に生きます。ヤクの食べる牧草を求めて、彼らは旅をしながら生活します。
ヤクは彼らにとってなくてはならない存在。車が通れない山道で、大きな荷物を運ぶ姿をよく見かけました。
ヤクの乳はバターにされ、バター茶として飲まれます。バター茶は乾燥した気候で失われがちな水分、脂肪分、塩分、カロリーを効率的に補給することができます。ヤクの毛はセーターやテントの生地に使われます。皮は衣類に、肉は貴重なたんぱく源として食され、骨は装飾品に、そしてツノはくしなどの日用品や、削って漢方に使われます。
驚いたことに、チべットの人たちにとってはヤクの糞までもが貴重な資源。乾燥させて燃料として再利用するのです。
自分たちが生きるために犠牲になってくれたヤクを、遊牧民たちは余すことなくすべてを使います。それが礼儀なのです。
ただ頭蓋骨だけは使わず、骨に経典を彫ってヤクの供養を行います。そして、ヤクが輪廻転生してまた自分たちの元へ帰ってくるように、その道中で迷ってしまわないように祈りを捧げます。
「ヤクは僕たちにとっては家族なんだ。もう一度会いたいし、生まれ変わって僕たちの元に帰ってきてほしい。家族が死んだらそう願うのは当たり前だろう?」
祈りを捧げていた遊牧民の男性は、私たちにそう教えてくれました。
手に入れるのが困難だから価値がある
私たちはそんなチベット人たちの思いが詰まったヤクのツノのくしを買い付け、日本に持って帰ることにしました。
ところが、買い付けたくしは、あっという間にすべて売れてしまいました。もう一度入手できないかと手を尽くしましたが、無理でした。
残念ではありましたが、旅の中で見つけた物は、再び手に入れることが困難だからこそ価値があるのも事実です。
ネパールで、チベットのくしを探す
そして2年後。私たちはネパールの街、ポカラを歩いていました。ポカラにはチべット人居住区があり、たくさんの亡命チべット人たちが暮らしています。
私はある1軒のチべット人が営む民芸品屋さんに入りました。埃っぽく薄暗い店内には懐かしいチべットの仏具や仏像、アクセサリーなどが所狭しと並びます。
店内を探しましたが、ヤクのツノのくしはやはり見つかりません。
実は以前から、チべット人が営む店を見つけてはくしを探していたのですが、見つけることはできずにいました。チベット国内でさえ、私たちが買い付けた場所以外で見かけたことはなかったので、実は珍しい物だったのかもしれません。
自分用に購入していた1本は一生大切に使おう、そんなことを考えながら店を出ようとしたとき、後ろから店員さんに呼び止められました。
「何か探してるの?」
チべットで購入したくしを探していると説明したところ、そのチベット人青年の目が輝きました。
「チべットに行ったことがあるんだ!」
私はチべット旅行を思い出し、思い出話を少ししました。その間、青年は目を細めて頷きながら話を聞いてくれます。
「僕は両親が亡命してきて2世としてネパールで生まれたから、チべットを知らないんだ。両親から話は聞くけど、亡命してきたわけだから僕がチベットに帰ることは一生できないと思う。だから、こうして旅した人からチべットの話を聞くのがすごく好きなんだ」
私のような外国人が旅できるのに、彼自身は入ることも許されないんだ……。何と言っていいのかわからず、返答に困っていると、青年はふふっと少し笑い、こう続けました。
「そうだ、せっかくの機会だから君の探しているくしをチべットの親戚たちに聞いてみるよ。僕の両親は亡命してきたけど、親戚の多くはまだチべットにいるんだ。彼らに聞いたら見つけてくれるかもしれない」
思いがけない親切な言葉をうれしく思いましたが、きっと軽いノリでそう言ってくれているだけでしょう。
「じゃあもし見つかったら連絡ください」とFacebookの交換だけしておきました。
チベットからネパール、そして日本へ
数ヵ月後。青年は本当に親戚野方に頼んで探してくれたようで、なんと、くしが見つかったのです。
親戚から送られてきたという写真を見せてもらうと、まさに私が以前に買い付けた物と同じくしでした。青年が手配をしてくれ、チベットからネパール経由で日本に届きました。
届いたくしを指の腹でこすって匂いを嗅いでみると、本物のヤクのツノの匂いがしました。
現在、「LIFE IS A JOURNEY!」のお店に並んでいるのは、こういった経緯で入荷できたくしです。再びお店に並べることができて、青年と親戚の方々には大感謝です。
ところが……。最近、Facebookからその青年のアカウントが消えてしまいました。
最後にメッセージのやりとりをしたのは年末。彼のおばあちゃんとの2ショット写真と一緒に、「早くまたネパールにおいでよ。おばあちゃんがチベットの話を聞きたいって!」という内容でした。
一体どうして消えてしまったのか、ただの気まぐれでFacebookを退会しただけならいいのですが……。
近々、再びネパールに行く予定なので、ポカラの街に寄って彼の様子を見てこようと思います。
ネパールは平和な国なので、きっと彼も何事もなく普通に暮らしているとは思うのですが、無事を祈るばかりです。
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