→【前回の話】南米の「飲むサラダ」を求めて-マテ茶をめぐる冒険・前編
マテ茶の神、現る
マテ茶の街・ポサーダスにあるドミトリーのベッドでふて寝をする私。気分は真っ暗。病は気からという言葉がありますが、本当に体調まで悪くなってくるのだから不思議です。
そこへ、隣に新しい宿泊客がやってきました。ちらっと目線を向けると、黒人の男性がニカっと笑顔を向けてきました。実は、これが運命の出会いでした。
彼の名前はデイブ。ニューヨークからやって来たアメリカ人です。人懐っこい笑顔で、私たちが理解しやすい簡単な英語で話してくれる優しい彼、実はニューヨークでマテ茶を流行らせている第一人者であり、私たちがチェックしていたマテ茶本の著者だったのです。
「今いちばん必要な人を召喚できるとしたら誰がいい?」なんて聞かれたら、真っ先に選んだであろう人物が目の前に現れたのです! もうこれは奇跡としか思えません。
デイブに事情を説明すると、「明日マテ茶農家に会って、畑の視察に行くから一緒にどう?」と誘ってくれました。農家さんの名前を聞いて驚きました。私たちが探しているマテ茶農家ベスト3に入っている人だったのです。
翌日、私たちはデイブと一緒にマテ茶畑があるオベラに行くことにしました。
が、この旅は喜んだら落ちる、というのが定番パターンのようです。Wi-Fiの電波状況が悪く、別の車でオベラに向かったデイブと現地で落ち合うことができなかったのです。
マテ茶畑がたくさんあるオベラの街にやって来たのに、マテ茶畑に行けないなんて! さらに、デイブともう一度会うことができなければ、マテ茶農家を紹介してもらうこともできません。再び、絶望感が蘇ってきます。
トラブルのち、助っ人がぞくぞく
けれど、地球の裏側からわざわざやって来て、目的のマテ茶畑は今、目と鼻の先にあるのです。私たちはたとえ徒労に終わったとしても、できる限りのことをすることにしました。
google翻訳を使ってスペイン語で、「私たちはマテ茶を日本に輸入するために来ました。○○というマテ茶農家を探しています。それはここから遠いですか?」という文章を作り、街の人に見せてまわることにしたのです。「オペラがマテ茶農家の街であれば、1人くらい知っているだろう」という賭けでした。
まず訪ねたのは街のカルチャーセンター。中にいたおじいさんはgoogle翻訳の文章を見て、市の観光案内所に連れて行ってくれました。観光案内所では手がかりはなく、ある商店に案内されました。
その商店はなんと、日本人が営むお店でした。日系3世の比嘉さんです。こんな遠く離れた地に日本人がいるなんて思ってもみませんでした。けれど実はこのオベラという街、日系コミュニティがある街だったのです。残念ながら比嘉さんは日本語を話せませんでしたが、次の小川さんという方につないでくれました。
小川さんは日系二世で、日常的に日本語で会話されています。はじめて言葉が通じる方に出会うことができ、私たちはマテ茶を探しに来たことを話しました。すると小川さんは車を出し、「何か知っているかもしれない」とアルゼンチン日系移民の第1号でこの辺りの有力者である帰山さん宅に案内しくれました。
帰山ご夫妻は快く私たちをマテ茶畑に連れて行ってくれる手はずを整えてくれました。しかし、このとき陽はほとんど落ちかけていました。翌日はデイブにマテ茶農家を紹介してもらう約束をしていたので、2日後にオペラに戻ることを約束し、私たちは帰山さん宅を後にしました。
満月に照らされたマテ茶畑
小川さんの車で夜の道を走ります。この数時間のうちに一体何人の人に助けられただろう。こんな突然の訪問者に誰一人として嫌な顔をした人はいませんでした。それどころか、みんな自分のことのように親身になって考えてくれ、次の人につないでくれました。
オベラの街は、ほぼすべての住民がどこかの国からの移民です。みんなで支え合い、苦労を乗り越えてきた場所だからこそ、他者に対してやさしい風土が育ったのかもしれません。
そんなことを考えていると、小川さんが山の途中で車を止めました。
「ほら、もう暗くてあまりよく見えないけど、これがあなたたちが探していたマテ茶畑ですよ」
そこには大きな満月に照らされてシルエットだけになった、美しく、幻想的なマテ茶畑が続いていました。葉っぱを1枚口に入れると、鮮烈なマテ茶の香りが口の中いっぱいに広がります。私たちが探し続けていた香りでした。ついに、ついに、念願のマテ茶畑に辿り着いたのです。
しっとりとしたその地の空気を心ゆくまで吸い込みました。冷気を含んだ夜の気配がツンと鼻の奥を刺激します。大きな白い満月が「ようこそ」と笑いかけてくれているようでした。
「私たち日系人コミュニティは全員であなたたちを応援してますからね。頑張ってくださいね」
ありがたい言葉をいただき、こんな地球の反対側に来て日本語で会話をしていること、そしてやさしいたくさんの人々に支えられてこの場所に辿り着くことができた奇跡をかみしめました。
ついにマテ茶農家と契約
翌日、私たちポサーダスに戻り、無事デイブとも再会でき、目当てのマテ茶農家と契約を結ぶことができました。
小さな家族経営の農家ですが、味は本物です。ほかのマテ茶にはない、フレッシュな味わいと、緑茶にも似た丸い甘みが特徴です。人の良さそうな農家のお父さんと握手を交わし、契約を結びました。
デイブはほかにもマテ茶の販売方法や物流のノウハウなどを事細かに教えてくれました。ここまで来るのにデイブはとても長い年月をかけていました。マテ茶の輸入を始めるために2年間ブエノスアイレスでスペイン語を学び、たくさんのマテ茶農家を訪問し、物流について勉強し、身につけたスキルや情報を私たちに惜しげもなく教えてくれるのです。
「どうしてそこまでしてくれるの?」と聞くと、デイブはこんなことを言いました。
「人は感謝の連鎖の円でつながっているんだ。それは人間関係においてもビジネスにおいても一緒だと思う。自分だけが得をする方法の効力はほんの一瞬だけど、感謝の連鎖による効力は半永久的だ。それぞれが感謝でつながればそんな強い絆はない。だから君たちも、僕に義理を感じる必要はない。これは僕のためにやっていることなんだから」
最高においしいマテ茶に出会う
後日、再び帰山さんを訪ね、マテ茶畑とマテ茶が製品化されるまでの工程を見学に連れて行っていただきました。
訪ねたマテ茶農家は、家族経営の小さなマテ茶メーカーでした。農薬・化学肥料を使わず、乾燥させた茶葉を1年半以上寝かせてから出荷しています。茶葉を寝かせることで、よりマイルドで丸い味のマテ茶ができるそう。けれど、寝かせている間はもちろんお金に替えることができません。
「1年半も寝かしている農家はうち以外に聞いたことないよ。そりゃその間は収入がないから苦しいさ。でも、味が全然違うからね。この1年半の期間が大切なんだ」
帰りがけにお土産にいただいたマテ茶を飲んでみると、驚きました。
「これはおいしい!」
マテ茶特有の苦味が他のものより少なく、その代わりに日本茶のような丸い甘みが感じられるのです。ようやく求めていたマテ茶を見つけた気分でした。
人のつながりで生まれた「Bodhi MATE」
現在、私たちは「Bodhi MATE」という名前で、デイブが紹介してくれた農家さんのマテ茶を販売しています。この商品名の名付け親はデイブです。
Bodhiとは「偉大なる知恵・知識」という意味。偉大なるインディオ達の知恵と知識で守られてきたからこそ、マテ茶は現代にまで伝わってきました。そんなインディオたちへのリスペクトが込められています。
帰山さんに案内していただいたマテ茶農家さんの茶葉に関しても仕入れる予定で、現在輸送手段を検討中です。
私たちが現在マテ茶を販売できるのは、たくさんの人の協力があったからこそ。次は私たちの番。デイブのいう「感謝の連鎖」を止めず、次につなげられるように、「ありがとう」をつないでいくような存在になることが、私たちの目下の目標です。
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